ダーラナー ディヤーナ サマーディ ブレスメディテーション
- YOSHIYOGA

- 12月1日
- 読了時間: 3分
五感を内側へ向けるプラティヤハーラ(感覚の制御)の後に続くヨガの八支則の6段階が、ダーラナー=集中です。
ダーラナーは、一点あるいは一つの事に意識を集中させることである。心は動かず、冷静でなければならない。そうすると心が内面に向き、絶え間なくあふれる知性を統合し、すべての緊張を取り除くことができる。その状態が長く続けば瞑想(ディヤーナ)になる。
ヨガ呼吸・瞑想百科
心を一点にとどめておく状態。
ひとつの事に集中する事。
ついついスマホでショート動画を長時間見てしまっていた。
これは次々と流れてくる、視覚と聴覚の刺激に心が動かされているのを、ダラダラと続けてしまっているだけ、心が騒がしく、心は自分の内側へには向いていない。
呼吸のガイドを行う際に、吸う呼吸が鼻の入り口から鼻腔を通り、気道へ入る、吐く呼吸が気道から鼻腔そして鼻の入り口へ、そこから段階的に吸う呼吸と吐く呼吸を鼻の入り口のピンポイントに向けていく。
呼吸というものを、よりピンポイントで感じる事で、他の事を考えなかった、忙しい思考から離れる状態が生まれる。
上記にも書いたが、このような状態を保つことが瞑想(ディヤーナ)となる。

ディヤーナの状態が途切れることなく持続されると、サマーディに入る。そこでは、自己と瞑想の対象が一体となる。
ヨガ呼吸・瞑想百科
ヨガ八支則
6段階 ダーラナー
7段階 ディヤーナ
8段階 サマーディへと繋がっていく。
サマーディにおいては、求道者は自分の肉体、呼吸、心、知性、自我を意識しなくなる。求道者は無限なる平和な世界に住むことができる。求道者は自分自身が悟りを得るのみでなく、真実を求めてくるすべての人たちを光へと導く。
ヨガ呼吸・瞑想百科
サマーディ(三昧)となると、特別な人が覚醒したような捉え方をしやすいが、
静かなる自己につながる事ならば、目覚めた人はそのことを見せつけたり、ひけらかしたりはしない。
今まで、ヨガのみでなく、様々な本物の師はいつも穏やかで、ある種『普通の人』の面を持っている。
『普通』というのは、何か『特別』を着飾ったり、自己演出やアピールしなくても積み重ねた知識と経験がその方自身を平和な世界とちゃんとつながっているからだったのだろう。
サマーディが覚醒と表現になると、覚醒してゲームクリアではなく、そこからの世界が続く、つまり始まりのような気がする。
この視点を持って、日常生活を過ごしていくと見え方捉え方は変化していく。
また、現代社会はこの状態から引きはがそうとする刺激にあふれているので、真の自己から離れてしまいがちになるが、八支則の段階を上から見直しすことにより、真の自己へ戻りやすくなる。
つまりヨガとは『自分と繋がる』という事
その中に生き方、ポーズ、呼吸、瞑想がある。
『自分を知り 自分で整える』
その言葉の深さを再確認し
毎日の生活を丁寧に
これからも大切していきたいと思った。



コメント