ヤマ 道徳律 ブレスメディテーション
- YOSHIYOGA

- 11月6日
- 読了時間: 4分
ヤマ(禁戒):社会的な禁止事項
ニヤマ(勧戒):自分に対する制御
アーサナ(座法):安定的な座り方
プラーナーヤーマ(調気法):呼吸でプラーナ(気)をコントロール
プラティヤーハーラ(制感):外界から受ける感覚を断つ。
ダーラナ(凝念):意識を一点に集中。
ディヤーナ(静慮):深い瞑想。ダーラナで一点だった対象を広げる。
サマーディ(三昧): 自我を忘れて心の働きが停止した状態。
ヨガ八支則の一番はじめに説かれているのが
このヤマ(禁戒)
つまり一般的なアーサナ(ポーズ)は三番目、その前に
実施したいものなのです。
ヤマには5つの内容があります
アヒムサー(非暴力):暴力を振るわないこと。
サティヤ(正直):嘘をつかなこと。
アスティヤ(不盗):他人のものを盗まないこと。
ブラフマチャリヤ(禁欲):性欲などでエネルギーの無駄遣いをしないこと。
アパリグラハ(不貪):所有しないこと。
〇アヒムサー(非暴力)
いかなる肉体的精神的思考、行為においても、物や人を傷つける事をしないこと。
道徳の基本的な考え、比較的理解しやすいのだが、私の感じる日本的気質で自分の感情を抑え込み、耐え忍びすぎるこれは、己を傷つける行為だとおもいます。
これに伴い、暴飲暴食、身体の声を無視して体を筋トレやスタジオレッスンで痛みに抗いながら酷使続ける事、これも自分への暴力だと思います。
〇サティア(正直)
ヨガの求道者は徹底的に真実を求め、自分自身に対して正直であり、思考し語ることはすべて真実である。
正直であることは、とても大切な事。人にはいろいろな側面があり、先日見たい大山の様子も見る方向によりその様子は変わる。私達人間も性別、年齢、役割、服装、装飾でその見え方は変わるかもしれない。変わらないものは『魂』のみ。だから過剰に飾り立てたり、あえて私はこういう人間なんですと、無理に語ったり、気にしすぎなくていい。人にどのように映ろうと、それはその方向から見えた一部であって、自分自身のすべてではない。
自分が自分自身に対して正直であること、そうしていると思考しことすべてはすべて真実なのである。
〇アスティア(不盗)
不盗を守り心豊かな生活を送っていると、必要なものは自然と求道者のところへもたらされるようになる。
窃盗がいけないことは誰しも理解できる。物を盗むそれは形あるものだと理解しやすいが、無形のもの、その人がお金と時間をかけて学び積み重ねた知識や知恵を、無償で手に入れようとする人々は多い。「やせるポーズ教えて」「私はどんな数字でどんな意味」これは無意識に行う盗み。一言二言ぐらいであれば会話の糸口でよいのだが、飲み席などで仕事の話になるとこの場面に良く出くわす。
形に見えない知識、アイデア、時間、人は無意識に奪っていくことがある。
〇ブラフマチャリア(禁欲)
ヨガの節制は、セックスはもちろんその想像さえも禁じている。この戒律はより真の男らしさ、女らしさが形成され、神性を見る能力が身につく。
もちろん性欲だけでなくすべての欲にも値する。
人生おいて、これを実施するのはかなりのエネルギーを費やす。ただ、ヨガの修行中などは、スマホを手放しSNSなどから意図的に距離を置くなど、さまざまな欲望に自分自身が飲み込まれて、自分を見失ったり、無駄な時間やエネルギーを消耗しすぎないことが大切なのである。
〇アパリグラハ(不貧)
欲望が増せば正しい行為も損なわれる。だから我々は、生活を維持する最低限必要以上の
ものを欲してはいけない。これは仏教における「知足」つまり「足るを知る」、今ある現状に満足し、過度な欲望を持たない事を大切さを説く教え。
ひとつの欲望が満たされば次の欲望が起こり、欲するものが得られない場合は悲しみに変わる。だから我々は、生活に必要以上のものを欲してはいけない。
これには向上心とのバランスが必要である。自分を磨き、より豊かさに意識を向ける事は悪ではないと思う。
ただ誰々みたいにお金持ちになっていいところに住み、いい車に乗りたい。
そんな目標設定では、実現するのは難しいし、欲だけの考えになってしまう。
まず、今ある環境を改めて見つめ直し整理する。必要ないものは手放し、改めて今あるものに感謝をし、そこからこれか身心豊になるものを積み重ねていく。これによって積み重ねられたものは安定し、足元をすくわれるようなことは少ないと思う。

5つのヤマ
自分の生活に意識して上手く取り入れる事で
改めて生きやすさへつながり。
情報のあふれるこの現代において、地に足つけて
自分らしく生きる基礎となる。
すべてはここから始まりなのである。



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